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  • 執筆者の写真: Nami Sakai
    Nami Sakai
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JPN Paradox 11 | 有給休暇にも、多様性を


もしダイバーシティが「さまざまな在り方を受け入れること」だとしたら、「有給休暇の取り方」もその一つと言えるのではないでしょうか。



アメリカ在住の頃、休暇の取り方は実にさまざまでした。2〜3週間まとめて休むこともあれば、年の後半にさらに1〜2週間取ることもあった。1日でも長期でも、休み方は自分で決めるもので、理由を問われることは、ほとんどありませんでした。

 

それが、日本で働き始めて、ある違いに気づいたのです。

 

有休を取るには「理由」が要る。明文化されたルールではないけれど、なんとなく当たり前のこととして空気に漂っている。そして、その理由が「自分ではどうにもならないこと」であるほど、周囲に受け入れられやすい傾向がある気がしました。

 

「家族の都合で休みます」。

自分が休みたいからではなく、誰かが自分を必要としているから、という形に落とし込むことで、休暇はようやく正当化される。

 

以前、若い同僚がアメリカへ遊びに行ったことがありました。それを知っていたのはごく一部の人だけ。上司に知られたら何か言われるかもしれない、と本人は気にしていました。「若手が楽しむために海外旅行をするべきではない」という感覚が、彼の中にあったようです。表向きは「実家で両親と過ごす」ことにして、出発前も帰国後も、その旅行について職場で話すことはありませんでした。

 

一方で、真逆の話も耳にします。

 

休暇の理由をあえて聞かない、という職場もあるようです。プライベートに踏み込むことがハラスメントと受け取られかねないという懸念から、むしろ聞かないことが配慮とされているケースもあるといいます。

 

そこで、ふと思うのです。

 

もしかすると、「国民の祝日」は、こうした状況に対する一つの解決策なのかもしれません。

 

2026年の祝日は全部で16日。振替休日や年末年始、お盆などの会社指定休暇を合わせると、企業によっては24日ほどになるところもあります。みんなが同じタイミングで、あらかじめ決まった日に休む。それによって、同僚に余分な負担がかかることもなく、理由を説明したり、何かを隠したりする必要もなくなる。一斉休暇には、そういう「休みやすさの設計」が込められているのかもしれません。

 

ここで私が考えるのは、ダイバーシティが「さまざまな考え方や生き方を受け入れること」だとしたら、休みの取り方にも多様性はあり得るのではないでしょうか。


それぞれが自分のペースで休みを取り、休暇中も周囲に支えられ、戻ってきたときには思い出を自然に話せる。そんな環境は、どうすれば生まれるのでしょうか。

 

また、みんなが同じ時期に休むことは、社会にどのような影響を与えているのでしょうか。ホテルはすぐに埋まり、旅行費用は高騰し、休みから戻る頃には、かえって疲れてしまっている。そんな経験をした方も少なくないはずです。


一人ひとりがもっと自由に休める社会とはどのようなものなのか、これからも考え続けていきたいと思います。


みなさんは、どのように感じていますか。


 
 
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